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ブンデスリーガ史に残る最終節:優勝争い編

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約9カ月にもわたるブンデスリーガのシーズン。2013/14シーズンのように第27節という異例の早さでマイスターシャーレの行方が決まることもあれば、最終節まで結末が分からないことも往々にしてある。今回は、過去のブンデスリーガで生まれたドラマチックな優勝争いを厳選し、以下に紹介していく。

2000/01シーズン

シャルケがかつてないほどブンデスリーガ制覇に近付いたのは、2001年5月19日。第33節を終了し、首位バイエルンは62ポイント&得失点差プラス25。これを追いかける2位シャルケは59ポイント&得失点差プラス28だった。
そして迎えた最終節、ウンターハヒングに5ー3で勝利を飾り、一足先に試合を終えていたシャルケは、他会場で行われていたハンブルガーSV対バイエルンの行方をスタジアムで注視していた。すると試合終了間際の90分、セルゲイ・バルバレスのゴールでハンブルク先制の一報が届き、歓喜したシャルケファンは観客席からピッチへなだれ込んだ。しかしロスタイム4分、ペナルティーエリア内での間接FKを得たバイエルンは、パトリック・アンデルソンのゴールで同点に追いつく。これにより、シャルケ初優勝の夢は目前で無残に散ってしまった。

1999/00シーズン

初のブンデスリーガ制覇を目指すレーバークーゼンが、1試合を残した時点で勝ち点73の首位に立ち、バイエルンが同70でこれを追う展開となった。しかも最終節の相手は、バイエルンがブレーメン戦だったのに対し、レーバークーゼンは格下のウンターハヒング戦。「敵地ではあるものの、1ポイントさえ獲得できれば良い」という、レーバークーゼンにとっては有利な展開だった。
しかし蓋を開けてみると、ミュンヘンのオリンピア・シュタディオンでバイエルンが3ー1で快勝した一方、そこから南へ約20km離れたウンターハヒングの本拠地では、レーバークーゼンがまさかの0ー2完封負け。得失点差により、バイエルンが奇跡の逆転優勝を飾った。

1991/92シーズン

東西ドイツ統合のため、通常よりも2クラブ多い20チームでの開催という異例のシーズンとなったこの年にも、ドラマは起こった。最終節を目前に控え、首位アイントラハト・フランクフルト、2位シュトゥットガルト、3位ドルトムントが勝ち点50で並ぶ接戦となった。
そうして迎えた第38節、シュトゥットガルトが上位レーバークーゼンに、そしてドルトムントが降格危機にあったデュイスブルクにそれぞれ勝利したものの、得失点差で大幅に両クラブをリードしていたフランクフルトは、19位ロストック相手に黒星。このためフランクフルトは一気に3位へ転落し、シュトゥットガルトがクラブ史上2度目の戴冠に輝いた。

1977/78シーズン

この年、優勝を争っていたのは、ともにドイツ西部に拠点を置くケルンとボルシアMG。第33節終了時、両クラブは同勝ち点で並んでいたが、得失点差ではケルンが10点リードしており、ケルンの優位は明らかだった。
しかし最終節、ドルトムントと対戦したボルシアMGは、ケルンとの得失点差を挽回しようと、キックオフからパワー全開。その後40年以上が経過した今もなお破られていない、12ー0というブンデスリーガ史上最多得点差でボルシアMGが勝利した。しかしケルンもザンクト・パウリ相手に5ー0で白星を飾ったため、ボルシアMGに追いつかれることなく、逃げ切り優勝を果たした。

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