ブンデスリーガ挑戦記:スウェーデン編
ブンデスリーガの歴史を彩ってきた外国籍プレーヤーの系譜を紐解く当連載の第2回は、スウェーデンにスポットライトを当てる。第21節のヘルタ・ベルリン戦でドライアーパック(1試合3ゴール)の活躍を見せたロビン・クアイソン(マインツ)の母国だ。
伝説的な存在としてリスペクトされるのは、ブンデスリーガでプレーする初のスウェーデン人となったロニー・ヘルストレームだ。1970年代のヨーロッパを代表する往年の名GKは74年にカイザースラウテルンとプロ契約を結ぶと、ドイツで10シーズンにわたって活躍した。通算266試合出場は、同胞の後輩たちが一人も到達できていない金字塔だ。
ヘルストレームの偉大さを物語る言葉が、彼の自伝『Ronnie : bäst i världen!(ロニー、世界一)』にこう綴られている。「私にとって最大の幸運は、ロニー・ヘルストレームがドイツに生まれなかったことだ」。発言者はヘルストレームと同じ時代を戦い、タイトルを総なめにした西ドイツ代表とバイエルン・ミュンヘンの守護神ゼップ・マイアーである。
このパイオニアに次ぐレジェンドは、ボルシアMGのDFB杯優勝に寄与した1995年と、バイエルンの欧州チャンピオンズリーグ制覇に貢献した2001年にスウェーデン最優秀選手に輝いたパトリック・アンデションだろう。センターバック兼リベロとして二つの名門クラブを支えた名手であり、2000/01シーズンの最終節、ハンブルガーSV戦で決めた同点弾はファンの間で語り草になっている。
アンデションは敗色濃厚のアディショナルタイムに強烈な右足シュートを叩き込んでバイエルンにマイスターシャーレをもたらすと同時に、優勝を確信してお祭り騒ぎだったシャルケの関係者たちを奈落の底に突き落とした。その数カ月後にバルセロナへ移籍したが、ブンデスリーガではスウェーデン歴代2位の通算212試合(11得点)に出場している。
2011/12シーズンから長きにわたって活躍しているオスカル・ウェントも、あと1試合でアンデションの出場数に肩を並べる。ウェントが所属するボルシアMGはスウェーデン人との縁が深く、通算60ゴールを挙げたマルティン・ダーリン、1997/98シーズンに13ゴールを記録したヨルゲン・ペッテションといった名FWも在籍した。
1年の在籍ながら1983/84シーズンにシュトゥットガルトのリーグ制覇に尽力したダン・コルネリウソン、2000年代後期にブレーメンでMFジエゴとホットラインを築いたマルクス・ローセンベリ、ウニオン・ベルリンで活躍中のセバスティアン・アンデションなども、ゴールで魅せる名手として挙げられるだろう。彼らとはタイプが異なるが、ライプツィヒのエミル・フォルスベリもスウェーデンが生んだ名手の一人だ。
文=遠藤孝輔