ドルトムントのヒーローになった香川真司
2010年の夏にボルシア・ドルトムントに加入した香川真司はすぐにその才能を遺憾なく発揮、初めてのダービーで2ゴールを決めるなど鮮烈な活躍でファンのハートを掴んだ。
大きな夢を胸に秘めたその21歳の日本人の青年がドイツの地に降り立った時、どれほどの人がその後の成功を予想しただろうか。18歳でプロデビューすると翌年には初めてA代表のユニフォームに袖を通し、2010年前半にはJ1リーグで大暴れしていたとはいえ、当時の香川真司はヨーロッパでは全く無名の存在だった。
しかしボルシア・ドルトムントが「発掘」した日出ずる国の才能は、すぐに大きく開花することになった。
プレシーズンでユルゲン・クロップの信頼を勝ち取った香川は、2010/11シーズン最初の公式戦となったDFBポカール1回戦のヴァッカー・ブルクハウゼンにスタメン出場すると、キックオフから4分が経過しないうちにルーカス・バリオスの先制点をアシスト。トップ下で90分間プレーし堂々たるデビューを飾った。
その5日後にはUEFAヨーロッパリーグ予選のカラバフ戦で2ゴールを挙げて4-0の快勝に貢献、初めてプレーしたジグナル・イドゥナ・パルクでホームのサポーターにその後の大活躍を予感させる強烈な印象を残して見せた。勢いそのままにブンデスリーガ開幕戦でもフル出場し、第3節ヴォルフスブルク戦では日本代表のチームメートである長谷部誠の前でリーグ戦初ゴールを挙げた香川がドルトムントのアイドルとしての地位を確かにしたのは翌週のことだった。
敵地で迎えた永遠のライバル、シャルケとのルール・ダービー。序盤から試合を支配したドルトムントはネヴェン・スボティッチのヘディングシュートがクロスバーを叩き、香川がマヌエル・ノイアーの守るゴールを脅かすなど、次々とチャンスを生み出していく。そして19分、香川がペナルティエリアのすぐ外から躊躇うことなく左足を振り抜くと、ベネディクト・ヘーヴェデスに当たってコースの変わったシュートがゴールネットに吸い込まれ、アウェイチームがリードを奪った。
初めてのダービーでゴールを決めただけでも夢物語と言えるが、若き日本の才能がドルトムントサポーターの記憶から決して消えない存在となったのは58分のことだった。ヤクブ・ブワシュチコフスキが右サイドからクロスを送ると、ファーサイドに走り込んで左足で易々とボールをゴールネットに押し込んでこの日2点目のゴール。胸のエンブレムに口づけした背番号23はドイツだけでなくヨーロッパ中にその名を轟かせた。
その後も勢いは衰えることなくシーズン前半戦だけでブンデスリーガ8得点を挙げた香川だったが、シーズン後半戦は骨折により欠場。それでも欧州初年度からドルトムントの9年ぶりの優勝に大きく貢献した。さらに成長を遂げた2011/12シーズンはブンデスリーガ31試合で13得点を挙げる活躍で自身のキャリアでも最高レベルといえるパフォーマンスを見せ、文句なしでリーグ2連覇とDFBポカールの2冠達成の立役者の一人となった。
その後2年間のマンチェスター・ユナイテッドでの挑戦を経ても、ドルトムントと香川の特別な関係にひびが入ることはなかった。2014年に帰還した日本のヒーローは初年度こそリーグ戦5得点と本調子を取り戻すのに苦労したが、背番号を7から入団時の23に戻した2015/16シーズンは新監督のトーマス・トゥヘルのもとで公式戦13ゴールを挙げて復活を印象付けた。
ブンデスリーガで通算148試合41得点の記録を残した香川真司がドルトムントに残した足跡はしかし、数字以上に大きなものだ。2023/24シーズン限りでクラブを離れたレジェンド、マルコ・ロイスへのお別れ動画に他のレジェンドたちと共に登場した香川は、一時代を築いた戦友を称える言葉を伝え「近いうちに日本で会おう」と語りかけた。ロイス、フンメルスといった一緒にピッチに立った選手たちが黄色と黒のユニフォームを脱いでも、香川とドルトムントの関係は揺らぎはしない。
新たに就任した指揮官ヌリ・シャヒン、アシスタントコーチのウカシュ・ピシュチェクをはじめ、ドルトムントファミリーはシンジとの再会を心待ちにしている。7月24日の再会はクラブと香川真司の双方にとって特別な一日となるだろう。